こんにちは、かみぃーです。
生きている事が辛い、絶望的な人生
こんなふうに感じている方は、私の他にもたくさんいるんじゃないかと思います。
その前に、
「おまえ誰なんだ?」
と言われそうなので、簡単な自己紹介をしたいと思います。
私は今、在宅でブログやWEBライター業などで起業して、1人社長をやって生計を立てています。
最近だとフリーランスの方やアルバイトの方を20名ほど雇っていますが、基本的に従業員は持たず1人で上手くやっている感じです。
もちろん最初から1人で上手く行った訳ではなく、過去には人生に絶望していた経験があり、
「これしかない。」と、わらにもすがる思いで、
インターネットを使って、パソコン1台で起業し、どうにか今現在、月収100万円を継続できるまでになりました。
現在は個人起業し2年が経ち、月収最大230万円を超えています。
また、今までにインターネット上のビジネスで学んだ知識を生かし、法人や企業さま、起業家さま方々に、WEBマーケティングを教える活動や、
商品販売ページの成約率を上げるための文章作成を代筆したり、WEBライター育成講座を開いて活動などの活動もしております。
ちなみに「なんで、かみぃーは人生に絶望していたの?」
ということについてですが、
それは、僕が、極度なHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)で、極端な敏感人間だったからです。
この記事を書いている今だからこそ、
「過去にとらわれず!未来を作って楽しむぞー!」
「もっともっと!仲間と繋がって上を目指すぞー!」
なんていう前向きな気持ちになっていますが、過去は本当にヒドい状態でした。
現代では「HSP」という名称がありますが、当時はそんな言葉は認知されていなくて、過剰なほどの繊細で、敏感気質な人間。
私がする発言に対して「嫌な思いをさせてしまうのでは」と、いつも気遣いをして言葉を詰まらせ発言ができず、内に秘めてしまうことや、
- ヒトが使う言葉の愚痴や暴言
- ヒトの表情の変化
- ヒトの視線
- ヒトの動きや仕草
- 自然に出る物事の音
などを、常に敏感に感じ取ってしまい、ヒトと顔を合わせる、目を合わせる、ということすら出来ません。
常に周辺で起こることを察知しすぎて、いつも恐怖でカラダが緊張しているため、こちらから誰かに声をかけるようなことすら出来ず、人間関係うまくいかない状態です。
なんとかしなくちゃ!と危機感を感じて周囲のヒトに相談をしましたが、
「甘ったれてんじゃないよ」
「男だろ?」
と、相談をした回数分同じ返事をされて、分かってもらえるヒトはいない。
周りの人が出来ている、言わば「普通」なことが出来ない自分なだけに、自殺願望があったり…
生きていて良い事なんて無くて、周りのありとあらゆる情報をシャットアウトして、
食べて、仕事して、泣いて、寝る。
そんな毎日を送る生活でしたね。
しかし、今は自分1人で起業して稼げるようになって、ポジティブに生きることができています。
こんな敏感人間の自分が、1人でパソコンを使って、コツコツ作業して、信じられないかもしれませんが、自分のチカラで月収100万円までも稼げてしまいました。
先ほども言いましたが、現在は、法人企業さまとの繋がりや、WEBライター、WEBマーケティング、LP制作、DRMライティング依頼、SEO記事制作、デジタルコンテンツを提供するなどで月収最大230万円を超えています。
今ではカラダが硬直することや、緊張などは無くなり、かみぃーさんと話すと安心するとまで言われるようになって、周囲の方から感謝されることが増えました。
「かみぃーさんとは、話すだけで勉強になります!」
「また相談したいのですが、いつ空いてますか?」
と、私を頼ってくれる方々が増えることの嬉しさを毎日感じ取っています。
WEBライターを通して学んだことを起業家さんや、企業の社長さんなどに話せば、同感してもらい、非常に興味を持たれます。
「すごいね!ここまで1人で稼げるまでのマーケティングを是非詳しく聞かせて欲しい!」
みたいな感じです。
そして、心に余裕が持てるようになってからは、対話もできるようになり、
今では「恐怖」が「安心」に変わる毎日を過ごせています。
ここから先には、私の自己紹介を含めて、「絶望な人生」から、月収230万を手にするまでにのし上がってきた物語ということで、
- 絶望のどん底から這い上がってきた「かみぃー」とはどんな人間なのか?
- なぜ安定した会社勤務をやめて、38歳で1人起業して月収230万などに至ったのか?
- 絶望の人生を歩んでいたが、どうやって人間関係ストレスフリーな生活がおくれるようになれたのか?
などをお話しさせていただきます。
【かみぃーのプロフィール】
- 神奈川県横須賀市の人
- 高校卒業後 → 会社勤務20年
- 最高月収230万円
- インターネット上のビジネス歴3年目
- 1人社長として起業:
WEBライター&ライティング講師、法人企業からDRM、コンテンツ作成などを受注、法人メディア運営者さまより、6社ほどの継続的なお付き合いあり
- コンサルティング業:
生徒さん68名ほどに、毎月最低5万円~50万円を稼がせる
- フリーランスWEBライター活動だけでも最低月30万円稼ぎ続ける
- Amazon 電子書籍:出版著者本人
①労働収入「負のスパイラルからの」脱出
②HSPの敏感人間が起こした絶望からの逆転人生
※Twitterのリーダーを解除して、safari、Google chromeなどの、ブラウザでご覧ください。
ここからは、
【HSPの敏感人間が起こした、絶望からの逆転人生】
をお読みください。
家族のことが怖くて、居場所がなかった幼少期
最初にお伝えさせて頂いた通り、私は、普通の人よりも、敏感に物事を感じてしまう人間でした。
ですから、
- 大勢の前では、体が緊張して話す事ができなくなる
- コミュニケーションがうまくとれない
- 友だちも作りにくく、人と接する事を極端に嫌う
- 人の視線や、表情、言葉がいつも気になっている
- 1人の時間が、何よりも大切
といった、普通の人には出来て、自分には出来ないことの差を感じて、自信が無くなり、自分はダメな人間なんだと、何度も思う日々を送っていました。
そのせいで、周りのヒトが私という人間を、どう思っているのかが、常に気になりストレスを抱えてしまうため、ヒトと接する事を極端に避けてきました。
幼少期は、とにかく「恐怖」だけ。
敏感に感じ取ってしまう体質になってしまった原因ですが、親の影響が大きくあったと思います。
物事に細かく、すぐ感情的に怒り、すぐに愚痴を吐く、起伏が激しい母親。
頑固者である建築業(大工)である父親。
毎日あーだこーだ愚痴や喧嘩腰の言い争いをしていて、怖い姿を見て育ってきまして、後々に気付いたのですが、母親は「鬱病、統合失調症、更年期障害、パニック障害」を患っていたのです。
そのためか、幼少期から理不尽に怒られ続け、間違っていないのに叱られ続け、何が正しいのかも分からず、怖すぎてしょっちゅう泣いていて、逃げ惑っていて。
このころからヒトの顔の表情、言葉の暴言、カラダの動作など、ヒトの感性の変化を敏感に感じ取ってしまう体質になってしまい、敏感人間。「泣き虫グセ」がついてしまったのです。
ですが、カラダだけは健康体でいられたのは、本当に助かったと思っています。
毎日欠かさず中学校に通い続けて、気付かないうちに「皆勤賞」になるほど中学校に通っていましたね。
怖がりで敏感人間。普通のことができず、劣等感だらけの【中学生】
気付かないうちに「皆勤賞」になるほど中学校に通っていたのですが、
人の顔色、言葉、を敏感に感じ取る体質の自分が、中学校で上手くいくはずもなく、
中学生時代は、生きているだけで辛い日々でした。
友だちを作る為にも、自分から声をかけようと試みましたが、
「嫌な思いをさせたらどうしよう」
「邪魔扱いされたらどうしよう」
と恐怖心が先走ってしまう状態。
友達と呼べる人は【2~3人】いたか、いないか。
結果、1人で居る時間が多くなり、物静かな自分になってしまい、
あまり話しかけてくれる人もいませんでした。
休み時間には、同級生のみんなが笑って話して楽しんでいるのを見ていて
めちゃくちゃ羨ましかったです。
どうにか会話に入ろうとするが、「かみぃーはどう思うの?」と意見を聞かれた時に、「ふぅ?え、あ、えっと…」となってしまい、声を掛けられた際に体が緊張してしまい、会話が成立しない。
そんな友だちの輪にどうしても入りたくて、コミュニケーションの改善をするために、本を十冊以上買って読んで、声をかけるところから実践しましたが、スルーされたり、無視されたり。
テレビを見ては、「このヒトは、なんでこんなに喋りが上手いんだろう?」と参考にしたり、研究したりもしましたが、成果は出なかったです。
いくら努力しても、無駄なんだ。
と思っているうちに喋ることが苦手となり、声をかけてくれた人に少しだけ心を開くだけの小心者になっていたのです。
ヒトとして自信の無さから、ほこれた事は何1つなく、全て「受け身」の状態。
「かみぃーって、静かでつまらないヤツだよね」
「幼稚過ぎない?小学生みたいに小さいし」
「しかも、バカで頭悪いし、気持ち悪い」
みんなからは、こんなふうに思われているんだろうな。
ということしか感じませんでした。
周りの人が楽しそうに話しているのに、その輪に入ることができない。
先生が生徒に質問して「手を挙げて」など言われたときも、極端に緊張して挙げられない。
友だちの発言や表情1つでさえ、脳に焼き付いて、夜に考え込んで寝られない。
物静かであっても、学力の成績は【オール1】という勉強嫌い。
なにを取っても「普通」なことができない。
と、中学生の時から思い始めていたのです。
唯一できるのは「カラダが健康」なので、「休まず中学校に通えていたこと」だけでした。
奇跡の推薦入学をした後、生きる意味が無いと絶望した【高校生】
中学校を卒業する3ヶ月前に「人生で一番嬉しかった」出来事がありました。
それは、学校に休まず通っていたという事や、親と先生の長い話し合いなどにより、高校入試を受けずに「推薦で高校に入学」できたのです。
これには、親と先生方に【感謝】という言葉しかでてこなかったことを思い出します。
勉強をする理由がない。
だって、何をやってもダメな自分が「高校受験」なんて出来るはずない。
と最初から高校受験を諦めていた自分のために、家庭教師を付けてくれたり、親戚などにも協力してもらって勉強を教えてくれたり、一緒に勉強に付き合ってくれた両親。
自分の事を思ってくれての事なんだから、頑張って期待に応えなくちゃ!と、プレッシャーを感じて、勉強をする努力を繰り返していました。
しかし、数学、日本史、英語、などを覚えて、今後の自分になんの意味があるのかすら分かっておらず、勉強をする意味がないと思っていながら無理やり勉強をしても、全く頭に入りません。
「勉強が出来なくちゃ、生きていけない世の中なの?だったら、自分、勉強出来ないから生きる意味ないよね。」と、すこし捻くれたりもしました。
そんな自分に嫌気がさして、「もぉ、人生終わった」と絶望を感じていました。
なので、「推薦で高校いけるよ!」って親から聞いた時の気持ちはとんでもなく嬉しくて、親に抱き着いて、言葉にならないほど「ワー!ワー!!」と泣きじゃくって喜んだことを、今でも鮮明に思い出します。
「こんなダメな自分でごめんなさい!」
「見捨てないでくれて本当にありがとう!」
と、ちゃんとした言葉で言いたかったのですが、言葉にならないほどずっと泣いて泣いて、幸せな気持ちでいっぱいになって、疲れ果てて寝ちゃっていましたね。
本当は無かった高校生活なんだから、今の自分を絶対変えて充実させるんだ!
と思っていたのですが、
友達の顔ぶれが変わったとしても、HSP気質な自分が変わる事はなく、周りの人が怖い、目線が気になる、嫌な言葉が脳に焼き付き、寝られなくなる。
とにかく周りが気になる敏感人間。
結局、普通のヒトにできる「話す」ことすら、自分には出来ないんだ。
ということに気が付き始めたのです。
物静かになってしまった自分は、「イジメ」の標的。
後ろの席のヒトが、前にいる自分の背中にシャーペンの芯を飛ばし入れて遊ばれたり、お金を盗まれたり、犯人すら知っているのに、反論すらできない。
自分の気持ちを押し殺せば、周りの人に迷惑かけず、傷付けずに済む。ヒトを困らせずに済む。と思うようになり、さらに「1人の時間」を作り続けた結果、精神的にボロボロとなっていたのです。
生きること自体が、意味が無い。
この世に自分の存在って必要ない。
と、目の前で起こるイヤな事柄が、穏便に時が過ぎるのを待ち続ける生活。
こんなことから、自分は一生、普通にヒトと話す事ができない。
楽しむ権利すらない。
何のために生まれてきたのだろうか?
このように呪文を唱えるかのように、自問自答をする毎日を過ごしていました。
絶望の高校生時代でしたが、唯一の救いは【音楽】でした。
ヒトと接することを極端に拒否してしまう自分が、高校生になって、唯一救われたこと。
それは「ギターとの出会い」。
1人で出来る「ギター」は、練習をすればするほど音が綺麗に出るし、田舎暮らしなので、周りを気にすることなく音も出せる。
何よりも、言葉を発することがなく、勝手に音が出てくれることが嬉しくて、気付いたらハマっていました。
スポーツや筋トレ、ダイエットなども、しっかり続ければ結果が出てそれでハマるヒトがいますが、同じような原理だったと思います。
1990~2000年代のバンドブーム全盛期。
「GLAY」「スピッツ」「JUDY AND MARY」「B’z」「ウルフルズ」「Mr.Children」「シャ乱Q」などのギターの楽譜を買っては弾いて、買っては弾いて。
小柄な自分は最初から手が小さいので、楽譜通りに弾けなかったが、音というものに敏感に感じて自己流にアレンジしたり。
没頭しすぎて、1本1本の弦の音を聞くだけで、ギターのチューニングできるほどになっていたり。
高校生の当時は劣等感のかたまりでしたから、ギターを弾くことは、自分の承認欲求を満たす上でも必要なことだったのではないかと思います。
近くの人にギターが弾けると言っていたら、周りのヒトが自然と話しかけてくれるようになり始めたのです。
「バンド組もうよ!それだけ上手いんだからもったいないよ!」
みたいな感じです。
会話することも徐々に増えてきて、何とか孤独を逃れることも出来はじめたのです。
ギターさえ1本あれば、みんなが自分を必要としてくれるし、勝手に音が出てくれるので、声を出して話すのが苦手な自分でも出来る。
当時、何もなかった自分には「音楽」というのが唯一の救いであったようにも感じます。
頑張れば、ある程度は報われる。
自分を必要としてくれる人が現れる。
今考えても、ギターに没頭した理由には納得です。
とはいっても、「ギター」に要求されるセンスや才能、「音楽知識」は全くといっていいほどありません。
完全独学、好きなだけ、好きなように、うまいギタリストの弾き方を、ただただ真似て。
難易度の高いギターの弾き方を見せると、「すごい!」って周りの人が褒めてくれるのが嬉しくて。
1人、孤独に、コツコツと、練習して、高校生の時に生まれて初めてLIVEでギターを演奏したことを思い出しますね。
自分の無力さに、価値が無いと判断した【新入社員時代】
絶望と救いの両方を経験した高校生活でしたが、なんとか卒業できました。
その後、大学や音楽の専門学校も考えましたが、これ以上親に迷惑を掛けることに気が引けたのと、結局勉強嫌いなことに変わりは無かったため、就職しようと決断したのです。
すぐさま新入社員として、自動車の修理や、新車販売をしている代理店の営業所に、一般事務として就職が決まったのも、救いでした。
「ゆっくりでも、今の自分ができることをやろう」
「大丈夫、大丈夫、少しは成長してるから」
と、自分に必死に言い聞かせて作業をしていましたが、とある日から、
一般事務と同時進行で「車を売るための営業に行ってほしい」と社長から言われて、「はい、はい!」とだけ答えました。
普段から、社長から声をかけられるたびに「なにか失敗して怒られるんじゃないか」という恐怖心でカラダが緊張して、声をかけられるたびビックリして「はい!」と返事をしてしまう癖が付いてしまいました。
さらには「え?営業って、なにをするの?」という知識レベルです。
3日間ほど、上司と一緒に営業に付き添い、お客さまに挨拶を済ませて、
「これから先は、1人で営業に行ってもらうから」と言われ、1人でお客様に会いに行くことになるが、
「声をかけて嫌な思いをさせたらどうしよう…」
「迷惑だとか思われたらどうしよう…」
と悪い想像が先走ってしまいます。
勇気を振り絞って、自宅のピンポンを押してお客様に声をかけますが、「あのぉ、えっと」と、緊張のあまりにオドオドした対応となってしまい、ほとんど挨拶だけで終わってしまうような状態が続いてしまったのです。
営業回りって「こちらからお客様に声をかけて、来てくれてありがとう!だなんて思う人はいないんだ」と初めて思い知らされました。
そんな思いのまま営業に回っていて、3日間で1人たりとも顔を合わせることが出来なかった事があり、「都合が悪かった、嫌がられた」などを理由にして社長に伝えると、大勢いるお店の中で、
「なんでこんなことが出来ないんだ!」
「これじゃ完全に給料泥棒だぞ!」
と怒鳴られ、叱られ続け、「出来ないヤツ」というレッテルを貼られ、
自分の無能さに絶望しました。
それがトラウマになって、お店に電話が鳴るたびに【 恐怖 】でカラダが硬直して、トイレに逃げ込むほど。
勤務が終わって、夜寝るときには、社長の怒っていた顔が忘れられず寝られない。
朝が来て通勤するが、お店の建物を外から見るだけで、手足とカラダが震えて、自然と涙が出る程、どうしようもない状態になっていたのです。
これ以上、会社の方々に迷惑をかけられないと判断し、事故の事も、誰にも相談せず、「辞めよう」と決断してました。
社長と2人きりになれるタイミングがあるまで我慢して勤務した後、
「ごめんなさい、もぅ、無理です…」
と勇気を振り絞って泣きながら伝えて、入社2年目で退社。
理由すら言えていません。とにかくこの「一言」が出たのが、自分にとって奇跡なくらい追い込まれてたんだと思います。
未来なんて、絶望しかないと思っていたその後の【社会人生活】
なんとか敏感な体質を変えようと、会社を探して仕事をし続けましたが、人間関係なんか、どの会社に行ったってうまくいきません。
会社を変えて転々とする日々が5年ほど続いた後、
気付いたことがありました。
「自分は社会から必要とされていない」
ということを。
ついに絶望の境地に達したので、死んだ方が「楽になれる」と思い、自殺を考えました。
自分はいらない存在。
社会から必要とされていない存在。
普通に会話すらできない存在。
信じて騙されてお金に縁がない存在。
世の中の邪魔でしかない存在。
誰も自分の事なんて必要としていない。
本当に「死」を選んだので、分かる人には分かると思いますが、
「死」を選ぶ時って、誰にも相談する余力がないんです。
言葉が出ない。声が出ない。気力がない。抜け殻。だから、
1人でひっそりと死ぬんだと思います。
そして、ついに、
車で暴走して1人で事故って死のう。と思いつき、夜な夜な山道を車で全力で走り出してました。
峠の山奥なので真っ暗闇で、道すら見えない場所で曲がりきれずに山林の崖に落ちた時には、車が何回転したか分かりませんが大破して、フロントガラスには、一本の木が車内めがけて突っ込んできて「死ねる」って思いましたが…
なぜか、生き残ってしまったのです。
真夜中、真っ暗で誰もいない山林しかない山奥で1人、枯れるほどワンワン泣いて、1日が経つと、異変に気付いたヒトが、声をかけてきて、呼び戻されて。
警察には届けず、
警察には届けず、車をレッカーしてもらったものの、崖の下にある大破した車を持ち上げる為の、クレーンのワイヤーが25mしかなくて、車に届かないとか…。
後処理が大変でした。
生き残ってしまった為、仕方がなく、また会社に就職して「我慢」の日々を送っていた時でした。
「せっかく生きていられるなら、自分みたいな人を助ける役になれたらいいな」と密かに思い始めました。
そして、このころでした。「WEBライター」という世界を知ったのです。
そして、【上司の一言】
「それ、やめてくれない?」と言われた時に、
売り上げに繋がることしか認められない会社の方針と、
元々、利益に関係なく、困ったヒトのために手を差し伸べようとする自分との価値観の違いを真っ向から否定され続けたことに嫌気がさして、
ついにこの上司の一言で限界に達し、会社員には二度とならないことを決意して会社を辞めて、
人生は大きく変わったのです!
常識破壊すぎた【WEBライター】という世界を知って…
つい1年前までは、毎朝、無理やりにも決まった時間に起きて、スーツを着て、駅まで移動して、片道通勤1時間30分の電車に揺られる生活をしていました。
職場に着いては、嫌な上司の顔を見ながらノルマを伝えられる。
ノルマが達成できなければ、何が原因だったのかを問い詰められ、精神的にはボロボロ。
勤務時間から解放された後、家まで帰るのに1時間30分の電車。
家に帰って来てからは、現実を見たくないので、オンラインゲームをして、アニメを見て、テレビを見て、明日の勤務の為に寝る。
とにかく、1人でいたい。
そして、人間関係に冷め切っていて、友達を作っても疲れる。と思って、同僚や上司、部下にすら仲良くしない、自由な1人の時間が一番落ち着く。という生活習慣を作り上げていました。
もぉなんだか、理不尽な社会に嫌気がさして、
すでに「死ぬことはいつでもィィ」と思って、人生を諦めかけていた時に、大きな転機がありました。
それはYouTubeを見ていると、広告に現れた内容でした。
WEBライターで稼ぐ?
ちょっとだけ内容を調べてみると、
- 在宅で作業ができる!
- 人間関係に悩まされない!
- 最初は副業から始める事ができる!
- リスクはゼロで全て1人でできる!
- 主婦、サラリーマン、学生、いろんな人が稼いでいる
- 一度仕組みを作ったらほほ自動化で収益が可能!
「そんな世界もあるんだなぁ」と情報だけはインプットしておきながら過ごしていたあと、毎日会社に勤務する日々。
「このまま一生、会社に縛られて生きていくのか…」と希望もなく、良い未来なんてないと人生を諦めていました。
そんなことを思いながら、YouTubeを眺めていると【WEBライター】の広告が流れたので、記憶にあった、パソコン1台で出来る在宅の仕事というものを、なんとなく適当にしらべてみたら、
在宅で作業可能!
パソコン1台!
場所に縛られず!
時間に縛られず!
人間関係に苦しまない!
このような未来が手に入るという広告が目についてツラれてしまい、
WEBライターという業種に、物凄く興味を持ってしまったのです。
「パソコン1台で、リスクなく出来るみたいだし、とりあえずどんなもんかやってみるか」
「1度の人生。自分が選んだ事をやって、騙されて死んで悔いなし!」
「蓋をあけて、出来なかった!とかだったら、思い残すこともないし、死のう」
と思って、実際に始めてみようと思いました。
最初はWEBライティングを学び、それなりに毎日作業をしました。
最終手段としての意識だったり、死ぬ覚悟が出来ているせいか、「絶対やる」という気持ちだけで動いて、その結果、紆余曲折はありましたが、
初月で月収7万円、
3ヶ月目で月収18万円、
6ヶ月目で月収39万円、
10か月目で76万円、
1年目で月収50~80万円を行ったり来たりということが現実的に起こりました。
そして今では、月230万円のお仕事を継続して頂けています。
信じられない方も多いかもしれませんが、さらなる高みを見て、月収をもっと伸ばせると思っていて、3年目は年商1200万円の倍の、年商2400万円を目指します。
具体的には、インターネットで行う仕組みの構築と、法人案件を継続して受注することで、現実的な目標達成ができる!と思っています。
もちろん、ここまで来るのには「死ぬ気の覚悟」があったからとか、「後がない人生だったから」とか、「毎日少しずつ、コツコツ、作業、勉強」を繰り返してきたのは確かですが、
WEBライターを始めて、最初の収入をもらった時は、
【生きる価値の無い自分でも、やれば出来るんだ】
と思えたということが、ほんとぉに!!嬉しかったですね!!
なによりも【こんな自分でも頼りにされる事】を実感できました!!
少しの勇気と、少しの努力で、
こんなに人間って「安心」が生まれると変われる存在なのか!と思いました。
初めて月収100万円とか出した時には、自分でも驚きましたが、コツはこれだけ。
成功者の真似さえできれば、結果は出るんだ!
こんなふうに驚いたことを覚えています。
ただ、WEBライターというインターネットで稼げるという事実を知るまでの生活は、
絶望の毎日。
そんな生活でしたが、過去と比べると天と地の差ほどあります。
気付くって本当に大切ですね!
生きる希望に変わりました。
世の中コロナ過ということもあって、自宅にいる時間が増えている方が多くいますよね。
今の自分は「在宅で作業」ができる「WEBライター」の中で生活していますが、
それまでは「暗中模索」な人生を歩んでいたので…
「自分ってホント、センスのかけらもない」と思い込んでいましたからね。
今言えるたった1つの成功事例は、何かというと、
【本物の情報】を【手に入れたこと】
「人生あきらめなくて良かった!」と今でも心底思ってます。
絶望から希望に満ち溢れる毎日!逆転の人生へ!
かみぃーは現在、毎月数十万円なにもしなくても入ってくるような「不労所得状態」になっています。
眠くなったときに、朝でも、昼でも、夜でも寝ようが、
オンラインゲームを12時間遊んでいようが、
北海道のおいしい海鮮丼を食べに行こうが、
沖縄の美ら海水族館に日帰りで旅行に行ってこようが、
リアル友達と飲みに行ってようが、
好きな映画を、何回繰り返し観に行っていようが、
勝手にお金が入ってくるようになりました。
そして、お金や労働、拘束される時間、精神的な負担、人間関係など、
「すべてのものからの自由」
を手に入れることができています。
これまで、挑戦しては挫折し‥なんども騙されてきた「かみぃー」が、WEBライターを始めた途端に、逆転の人生が待っていたのです!!
学生時代に人と接するのが嫌で、敏感人間。
こんな自分が、1人社長となり、独立なんていう思いもしなかった未来を手に入れることができて、
社会人になって騙されたことで、人間不信、借金まみれ、生きている意味が無かった人生が、
お金に困らずに、人生初の海外旅行に行ったり、散々な事を言われ続けた、地元の友人に見返すことができたり、好きなヒトたちだけと繋がって、美味しい料理を食べに出かけたり。
会社を転々としても、資格なし、取り柄なし、手に職もなし、などうしようもない、死ぬ価値すらないと思っていた自分が、成功体験によって、自分と同じように困っている人へ心の支えが出来るようになっています。
今では堂々としていることが多いです。
なによりも、
心に余裕が生まれました。
そして、こんな消極的で傷心者な自分でも、WEBライターを教えてあげれば感謝もされますし、
【かみぃーさんとお話しすると、勉強になります!】と嬉しいお言葉を頂けたり、尊敬もされます。
【どんなヒトにだって、誰かの為にできることは必ずある!】という気持ちだけは強く持ち続け活動しています!
また、WEBライティングを通じて、ビジネスで培ってきた知識や経験を伝えれば、企業の社長さんから、「もっと教えてほしいです!!」と言われる程、親しみを持って接してくれます。
その他、コンサルを頼まれたり、企業などから、セールスライティング、コピーライター、などとして代筆したり、DRMの依頼を受けたりして、稼いでいます。
命はお金で買えませんが、本気でお金に困ることはもうないんだなぁ。と思い、ヒトからは尊敬されて、関わりたい人だけと接する毎日。
本当に最高の人生が手に入りました。
こんな劣等感だらけで、ネガティブで死ぬことばかり考えていた以前の自分とは、天地の差ほどあります。
正直、あのとき、もしWEBライティングに出会えていなかったらと思うと、「命」は無かったと思います。
または、一生涯、「周りのヒトを気にする敏感人間」続けて、普通のことができない自分に対して、日々劣等感だらけで、幾度となく「死」を選んでいたかもしれません。
「なんでこんなことが出来ないんだ!人の話をちゃんと聞けよ!!」
「出来ないんじゃなくて、やらないだけでしょ?それ、ただの甘えだ!」
「運があって、喋りやクチが上手いヒトだけが結果が出る社会なんだよ!」
「上司を使って同僚を踏みにじって昇格することだけが正義だ!」
とか、訳もわからない人に付いていく日々だったかもしれません。
何をやるにしても、ためらうことは必要なことです。
「世の中に、都合よく稼ぐことなんて、絶対ナイ!!!」
「結局やっても、騙されたり、人間不信になるだけだから!!!」
とか思ってしまっていた自分に、
「もう少し早くWEBライターを知って始めるべきだった」と思い始めました。
この世界に勇気を出して踏み込むべきだったと、少し後悔しています。
ヒトから必要とされない。
怖い、ツラい
悲しい、寂しい
自分を産みさえしなかったら、
自分はこんなに苦しまなかったのに。
なんて思っていた自分が、
「ツラかった経験をして良かった!」
「やるべきことはいくらでもある!」
「人生はどん底から這い上がれる!」
「もっと充実した毎日をおくるぞ!」
と。こんなことを思える日々がくるなんて「夢の中」ですら思ってなかったです。
WEBライターを本気で始めて、本当に良かったと思っています。
プロフィールの最後に
私はいままで、ヒト前で自分をさらけ出すことなんて絶対ないと思っていたほどの、かなり消極的な人間でした。
こんな人間だって、生きるために決意を決めたら、人間性だって変えられるほど本当に強く生きていけるんだと実感しています。
少なくとも、このWEBライターを始めてから初月で7万円、半年後には「約月30万円」はコンスタントに稼いで、「月100万円」の収入をまず第一の目標として1年活動してきましたが、1年目で目標を超えた収入が手に入っています。
しかし、ここまで読んでくれたあなたなら分かると思いますが、
自分は、とてもツラい経験や思いをたくさんしてきましたし、何度も絶望を味わって、自殺することもためらわない程、追い詰められていました。
崖っぷちに立たされることで、かなりの覚悟ができていたんだと思います。
こんな消極的で傷心者な自分でも【正しい情報と知識が身に付けば、こんなにできるんだ!】ということを自分自身で証明できたことは、今でも自信や実感できています。
そして、コンサル生を稼がせてあげれば、とっても感謝されますし、どん底の人生が、希望の人生に変わり充実した毎日が送れています。
そんな私から言える事は、
人生に絶望する環境にいたら、逃げていいんだよ
あなたは、1人じゃない。
同じ境遇のヒトは、すぐ近くにいるよ。
ということです。
自分は正直なことを言うと、鬱病の妹や、統合失調症の母親の家族の事を気遣うことで、自分という存在を保ってこられたのかもしれません。
同じ境遇の方々との繋がっていくことで、同じ悩みを抱えているヒトに、苦しい毎日から、希望を伝えられたら…
と思ってブログを始めています。
いつの間にか、仲間にも恵まれて、人生が生まれ変わっていました。
ぜひ、自分の経験や体験を参考にしていただけたらと思います。
そして、今の自分のように人生を変えたくて、さまざまなインターネットで稼ぐための世界に入ったけど、なかなか稼げる状態に上手くいかない、などという人は、残念ですが多いと思っています。
その理由は、
まがい物の情報があり、
悪質な情報発信者は本当に多いですからね。
ですが、自分は騙され続けてきた経験がある中で、特別な事はなく、
【本物の情報】を手に入れられた1人というだけです。
なので、本気で人生を変えたい。
そんなふうに思われる方々が、しっかりと正しい情報につながれるように。
私という存在と繋がりあってくれた方々に、正しい情報を伝達できたらと思い、行動してくださる方々を、これからも応援し続けていきます。
ぜひ、本気で稼いで人生を変えたい方は、
突っ込んで稼ぐ方法をお伝えしますので、メルマガやLINEなどに登録していただけたらと思います。
【絶望の人生を、希望の人生に変える方法】や、
決して失敗する事をさせないために、
- 【お金を稼ぐ事】
- 【人間関係に苦しまない】
- 【希望を持てる未来を作る】
そんな生活ができるキッカケにしてもらえたらと思います。かみぃー自身が動画で話している内容を聞いてみてください。
この内容が、Amazon 電子書籍で販売されています。
こちらのページを見つけてくれた方にだけ無料提供しています。
「かみぃー」より。